美濃ってなに?
早いもので師走がすぐそこまでやって来ています。いつもの年ならほとんどが落葉しているころなのに、今年はやっと赤くなってきました。
これはお馴染みのアトリエからの景色。

狭いアトリエだけど、こうした四季の移ろいを身近に感じられるのはほんとに有難いことだと思っています。
それにしても、この秋はいろいろなことがあったなあ・・・ 横浜髙島屋さんでの個展に始まり、次から次へといろいろなことがあって、すさまじい勢いで毎日が過ぎて行った感じがしています。
さてさて、炎芸術より別冊「美濃の陶芸家たち」が発刊されました。
結構興味深いものがあったので、ここで思ったことをひとつ。

まあなんといろいろな作家のいることか!全然知らない人も結構いてびっくり。 不肖も取り上げて頂いております。

ここに載っている作家は美濃に生まれ育った作家もいれば、この地域に移り住んできた作家もいます。これをずっと見ていると、ほんとにいろいろな人がいて、いろいろなことを思いながら仕事をしていることがわかって面白いのです。
昔は、美濃といえばいわゆる桃山陶を目指して作陶する作家が多くを占めていたような感じがするのですが、これを見ていると最近の美濃の作風は、実に多くのバラエティーに富んでいることがよくわかります。 多治見市意匠研究所などを卒業して、そのままこの地で作陶を続けいる作家が多くなった影響かと思われます。そしてその数や、いまやネイティブの数を凌駕する勢い。
中には移り住んできて、桃山陶を目指している人もいるのですが、多くのアンネイティブは美濃という地域に全くとらわれない自由な気風で作陶しているのが伺えます。これはそれぞれのコメントを読んでいてもよく判って趣しろい。ネイティブは、「美濃という地域に生まれ、先人の薫陶を受け、美濃の土を有難く使い云々」。こんな文言を並べている人が多いのに対し、アンネイティブの人たちは全くと言っていいほどそのコメントに「美濃」という文言を使用していないのです。それでいて、彼らが云っていることはちゃんとした自己の作陶論。しっかり考えて仕事をしているのだなあと感心させられました。
ここ数年で、美濃にはほんとにいろいろな作家がでてきたけれど、この炎芸術を見ていると、この先ますますこんな状況が深まっていくのかなあなんて感じます。そしてついにはアンネイティブがネイティブを凌駕、昔からこの地域でやっている作家なんてマイノリティになってしまうかもしれません。「美濃」というものが根本から変わろうといしてる感を強く受けるのです。
私は、美濃の作家と呼ばれるのが昔から嫌で、織部を緑釉なんて呼んでずっとやってきました。使っている土にしても、この地域のものだけではなく、少しでも緑が綺麗に発色するように他地域の土を混ぜています。とは言え、なんといってもここは国宝「卯花墻」に代表される日本が世界に誇る焼き物が創造された地域。この地でどのような営みが行われあのようなものが生まれたのかと思いを馳せたりもします。そして事実、そこから学ぶものは大きな大きなものがあると思うのです。
でも、それでもやはり、私は美濃という地域にはとらわれたくない。美濃という地域を全く意識しないアンネイティブのサイドの作家でいたいと思うのです。
これはお馴染みのアトリエからの景色。

狭いアトリエだけど、こうした四季の移ろいを身近に感じられるのはほんとに有難いことだと思っています。
それにしても、この秋はいろいろなことがあったなあ・・・ 横浜髙島屋さんでの個展に始まり、次から次へといろいろなことがあって、すさまじい勢いで毎日が過ぎて行った感じがしています。
さてさて、炎芸術より別冊「美濃の陶芸家たち」が発刊されました。
結構興味深いものがあったので、ここで思ったことをひとつ。

まあなんといろいろな作家のいることか!全然知らない人も結構いてびっくり。 不肖も取り上げて頂いております。

ここに載っている作家は美濃に生まれ育った作家もいれば、この地域に移り住んできた作家もいます。これをずっと見ていると、ほんとにいろいろな人がいて、いろいろなことを思いながら仕事をしていることがわかって面白いのです。
昔は、美濃といえばいわゆる桃山陶を目指して作陶する作家が多くを占めていたような感じがするのですが、これを見ていると最近の美濃の作風は、実に多くのバラエティーに富んでいることがよくわかります。 多治見市意匠研究所などを卒業して、そのままこの地で作陶を続けいる作家が多くなった影響かと思われます。そしてその数や、いまやネイティブの数を凌駕する勢い。
中には移り住んできて、桃山陶を目指している人もいるのですが、多くのアンネイティブは美濃という地域に全くとらわれない自由な気風で作陶しているのが伺えます。これはそれぞれのコメントを読んでいてもよく判って趣しろい。ネイティブは、「美濃という地域に生まれ、先人の薫陶を受け、美濃の土を有難く使い云々」。こんな文言を並べている人が多いのに対し、アンネイティブの人たちは全くと言っていいほどそのコメントに「美濃」という文言を使用していないのです。それでいて、彼らが云っていることはちゃんとした自己の作陶論。しっかり考えて仕事をしているのだなあと感心させられました。
ここ数年で、美濃にはほんとにいろいろな作家がでてきたけれど、この炎芸術を見ていると、この先ますますこんな状況が深まっていくのかなあなんて感じます。そしてついにはアンネイティブがネイティブを凌駕、昔からこの地域でやっている作家なんてマイノリティになってしまうかもしれません。「美濃」というものが根本から変わろうといしてる感を強く受けるのです。
私は、美濃の作家と呼ばれるのが昔から嫌で、織部を緑釉なんて呼んでずっとやってきました。使っている土にしても、この地域のものだけではなく、少しでも緑が綺麗に発色するように他地域の土を混ぜています。とは言え、なんといってもここは国宝「卯花墻」に代表される日本が世界に誇る焼き物が創造された地域。この地でどのような営みが行われあのようなものが生まれたのかと思いを馳せたりもします。そして事実、そこから学ぶものは大きな大きなものがあると思うのです。
でも、それでもやはり、私は美濃という地域にはとらわれたくない。美濃という地域を全く意識しないアンネイティブのサイドの作家でいたいと思うのです。
いろいろと思うのだけど・・・
早いものでもう11月。今年も残すところひと月と少しになってしまいました。
9月、10月はいろいろな行事でなかなか仕事が出来ずに閉口していたのですが、やっともとの状態に戻れそうです。
そうこうしているうちに、年明けの徳島での個展がじわりじわりと近づいて参りました。最初、お話を頂いた際は準備期間が余りにも少ないので、出来るかなと迷っておりましたが、引き受けた以上は頑張らなくてはならないのです。
伝統工芸展に出品した作品を小さくしたような茶碗を制作中。

ここのところやっている胴紐シリーズ。 いろいろとやってきてはいるのですが、なかなかしっくり来ずにどうしたものかと思いながら制作を続けてました。
でも、ここにきてこのシリーズで面白いことが出来そうなことを思いつき、少し仕事が楽しくなってきました。この仕事、5月の個展には新しい展開として公開する方向で進めているところです。
そして、早くも来年の東海伝統工芸展の申込書が送られてきました。

あれ?いつもの申込書と違う・・・ そう思われるでしょうが、この申込書は少しでも多くの人に出品して貰うために、新しく作った一般向けの申込書なのです。これをいろいろなところに置いて貰って、少しでも多くの新しい出品者を募ろうという目的のようです。
9月、10月はいろいろな行事でなかなか仕事が出来ずに閉口していたのですが、やっともとの状態に戻れそうです。
そうこうしているうちに、年明けの徳島での個展がじわりじわりと近づいて参りました。最初、お話を頂いた際は準備期間が余りにも少ないので、出来るかなと迷っておりましたが、引き受けた以上は頑張らなくてはならないのです。
伝統工芸展に出品した作品を小さくしたような茶碗を制作中。

ここのところやっている胴紐シリーズ。 いろいろとやってきてはいるのですが、なかなかしっくり来ずにどうしたものかと思いながら制作を続けてました。
でも、ここにきてこのシリーズで面白いことが出来そうなことを思いつき、少し仕事が楽しくなってきました。この仕事、5月の個展には新しい展開として公開する方向で進めているところです。
そして、早くも来年の東海伝統工芸展の申込書が送られてきました。

あれ?いつもの申込書と違う・・・ そう思われるでしょうが、この申込書は少しでも多くの人に出品して貰うために、新しく作った一般向けの申込書なのです。これをいろいろなところに置いて貰って、少しでも多くの新しい出品者を募ろうという目的のようです。